昭和40年01月25日 夜の御理解
育てるということは、なかなか難しい事である。育てるということと同時に、自分自身が育つというお蔭を頂かなければならん。育てると言うことは色々な育て方がある。けれども本当の意味で育つということ。有り難い意味合いに於いて育つということ。所謂、育つものもそだされるものも、育てる者も育つ者も有り難い育て方。為には先ず、育てる者が先ず育たなければいけん。
先程でした。私は栄四郎に、算数の掛け算の九九を完全に覚えてないらしいです。「掛け算の九九を覚えんでどうするか。何の段まで覚えてるか」「七の段までは覚えとると」なら八の段と九の段とを覚えればいいわけなんですね。「ほんなら今日覚えてから、書いたり、暗記する為に色々教えてもろうてから覚えなさい。覚えてしもうたら私がご褒美を出そう」ち言う。したら三十分ばっかりしたら降りて来まして、「お父さん覚えました」ちゅうてからやって来てから、ここで、すらすらっと言えるです。
ですからやはり育てるためには、やはりご褒美が必要の様ですね。どうして分からんかと。いつまでもと。これは信心でもそうです。そげんな事でどうしてお蔭が受けられるかと言うだけではなしにですね、やはりおかげを与え与えね、育てて行くと言うことが大事な様であります。だからその育てる方も育って行かなければいけません。どういう風に育つかというと、豊かに大きゅうなることだと思うのですね。
四、五日前でした。善導寺の原さんがお届けをされるのにですね、何時も隣の善導寺のご信者さんなんです。ところが、色々その難儀な問題があると、必ずお届けがあるんですね。お参りはならないのだけれども、お初穂だけことづけてからお願いをして下さい、お礼を申し上げて下さいと言うて、お届けがあるんです。それで私、ご自分の息子さん達二人のお届けがございました。それから私、御神米を下げてから、ご祈念さして頂きましたら、『水は低き所に流れる』でしたかね。
ということを頂きましたから、後そのことを書いて渡しました。『恵みは低きところに』かね、なんかでした。所謂お恵みの水は、低い所にしか流れて行かないということなんですね。だから私どもが思うことはね、育つということはね、いよいよ私が、やはり実れば実るほど、やはり頭が下がって行く稲の実の様なものでなからなければならないということ。育つということは「俺ゃ、先生になった。
大先生になった」というものじゃないということ。人からそう言われれば言われるほど、自分の心というものは下へ下へと下がって行くものでなければならないということなんです。そして原さんが言われるんです。「先生、実は今日の息子さんの二人のお届けは、お礼のお届けでございます。一人は課長さんになられた。一人は何か一役、上に上がられたということです」「それは尚更お蔭頂いた。
ならいうて下さい。息子さん達にね。一段上に上がらせて頂いたということなら上がらせて頂いた程、一ついよいよ、辞を低うしていかにゃいけませんよと。それだけに配下も、今まで十人であった配下が二十人になって行くわけなのですから。その自分が上に立っとるという気持ちになったら、出る釘は打たれるで、かえってお蔭は頂きにくい。だから課長さんになった。
またその上になったというなら、なったらなった程、辞を低うして行く様な心の状態でお蔭頂いて行ったら良かろう」と私はことづけたのですねえ。翌日でしたか、翌々日でしたか、また原さんが「もうあの御理解を頂いて、大変お蔭頂いた」と言うて、お礼のお届けがございました。私達はもう位がいちいち上がって参りますと、どうでも自分の子分がそがしこおおなった様な気がいたしましてね、お蔭頂きました。
それではね、本当に育ちませんです。所謂育つ者も育たさせられる方も、育てる方もおかげ頂きませんですね。そこで私どもは思うんですけれども、それはまあ、今日も丁度福岡の渡辺先生と、それから金沢さんでした。それから下関の中林さん。丁度昼頃、一緒に参り合わせてからいろいろ、みんな子供さんを二つか三つの時、渡辺先生なんか長男、あの二番目のお子が生まれたばっかりの時だったそうですからね。
もう親の顔も知らない。それでいて、やはりああしたお蔭を子供達の上にも自分の身の上にも頂いて来られた。金沢さんもやっぱり、二人は今大学に、一人は就職しておりますかね。所謂あの中に辛抱し抜かれてから現在のお蔭を頂いて居られる。そこへ丁度、上滝さん方の泉さんがお礼に出て参りました。この人達もやっぱりあんた達と同じこと。お母さんがしっかりしとったから、この人達が、もうほんとに見事に育って行きよる。息子が兄弟四人居りましたが。
六年生に四年生、それに二年生にまだ幼稚園という様な時だった、お父さんが亡くなったのは。それがどうですか。もうほんとに、実にこればっかりは見事に育って行きよるですよ。と言うてからまあ話したことです。そしてまあ銘々その苦心談を話されるのです。ほんとに頭の下がる様な所を皆さんがやっぱ通っておられるですねえ。渡辺先生なんかは、本当に私にもし信心がなかったら、とても子供たち、また現在のような様々な仕事に手を出す様な事も出来なかっただろうし、もう本当に主人の御霊と私が信ずる所のその時その時の信仰というものが私を支えて来たと。
そうして初めてここで先生にお目にかからせて頂いて、初めていわば信心が軌道に乗ったということを頂いて、もう本当にその後の信心が、過去の信心が無駄では無かったと。そして軌道に乗せて頂いてから天地乃親神様のお蔭を頂かして貰う様に成ってから、と言うて、今日のおかげをまた話しておられます。金沢さんあたりがやっぱりそう言ってましたですね。このお導きを病気の為にお導きを受けたんですけども、それからお道の信心がなかったら、こりゃもう、今、銀行の外交の方をやっとられますし。
子供達を育てる上にもです、もうとにかく苦しい時には「金光様、金光様」を唱え続けてからお蔭を頂いたと。もうとにかく集金なんかに参ります時、金払いの悪いといった様なところには、門口に立ってから「金光様、金光様」と唱えて行った時と、唱えて行かなかった時は、もうおかげが違うて。それで機嫌が悪い時には、ちょっと思い出した様にして、一遍出てから、「金光様」を念じて入り直すと、また変わってあるという様な体験を話しておりましたですけれどね。
ですからそういうようなお蔭を皆さん頂かなければならん。また頂いて貰いよりますのですけれども。「金光様、金光様」を唱えてです、その場その場をお蔭を頂いて行くというだけに止まらずに、今日の私が皆さんに分かって頂きたいのは、もうほんとに豊かに大きゅう成って頂かなきゃならないということです。ね。皆さんが、こんなことで腹立っちゃならん。こんなことで心を汚しちゃならんと思いながら、心を汚したり、いらいらしたり、腹が立ったりする。分かって居ってもそうなのです。
ですから分かって居るから「金光様、金光様」といって金光様を念じたり、御神前にでたり、お取次を頂いたりするとこの胸も晴れるから、まあそれもおかげですけれども、それでは私は本当のお蔭じゃ無い。そこで私どもの心の上にですね、そういう豊かな大きな心を頂かせて頂く。どの様なことを聞いても見てもです、汚さんで済み、または腹を立てんで済み、心を乱さんで済むお蔭を頂く為にはです、どうしても私どもがです。
有り難しというものが腹の底から湧いておるという様なお蔭を頂かなければならんとゆうことです。 所謂信心の根本な所ですね。信心のいよいよめざしという所が、私どもの心のそこにあらせて頂いて、信心の喜びというものがです、自分の心の底から湧いておる様な時なら、どのような事を見ても聞いても、それをわざわざ「金光様、金光様」と唱え無くても良いということ。そこまで信心が高められる。そういう信心が私はお徳に成るのだということなんです。
その為には一番初めに申しました様に、いよいよ豊かに大きうなるということ。は、いよいよ私どもが自分自身をぎりぎり清めさして頂いて、課長になればなったで、係長になればなったでですね、いよいよ辞を低うして行けれるだけの自分に成らせて頂かなければならないということ。本当に思うですね、私は。今日、豊美が親教会にお礼に出てから、帰って参りましてから、「今日、親先生が大変ご機嫌が悪かった」ち言う。勝彦に、「どうしてじゃろう」ち言うたら、夕べ、町内の町内会があったんですね。
婦人会の。その時は奥様が帰って見えてから、親先生に話しなさると。「ああた椛目には屋敷は二反ち言いよんなさったでしょうが」「はああそこに二反買うごとなっとるよ」「したら、ああた三反ですげなよ。百三十万という話が決まっとるそうですよ」ち言うてから、それがもう何回も、とにかくお届けをしないで、三反を買うたとかしかも百三十万も払うたとかという事がですたいね、親奥さんの心に障ったわけ。
親先生もそれっから、勝彦に対して、その風が悪いそうです。それで今日は豊美が参ったけん、ハア、そりゃいけんじゃったばいの。そいじゃけん、お父さんに言うてくれち言う。お父さんもあげなこと言うな。とにかく、もう三反、四反買うたっちゃ、全部で二反ちゅうとかんにゃいかんばいのて言いよったが。勝彦が聞いたとですたい、ほんとにそれが買うてあると、自分で思うとるものですからねえ。
ところがまあ、三方から皆、断って来ておりますからね、実際は。だからそんな事はもう根も葉もない現在じゃないことなっとるです。だからほんとにこの評判ちゃねえ、おかしなようなことなんですけれどもね。けれども私は思うたのですね。こりゃもうどうでも善導寺の親先生に、私自身がもっともっと信用を受けなきゃいけないなということでした。そして私は自分ながらも、ほんにこんなこまい事では自分でもいかんと思うたのですけれどもね。私はこの前もあちらの総代会に参りましてから。
二年後に控えておるところの親教会の六十年の記念祭にね、こりゃ椛目もじっとしちゃ居られないと。私を初め、家族の者がです、こりゃ奉賛箱でも作らせて頂いてから、二年後のそれに当たらせて頂こう。いいや私だけじゃない、家族だけじゃない、信者にも呼びかけてです、有志の方達には、一つおかげを頂いて貰おうと。今度、久保山先生が帰ったら早速、奉賛箱を作らせて頂こうという気が、私がもりもりしとったんですね。不思議ですね人間の心の状態て。それを聞いたらですね、もう作ろうごとなかごとなってしまうとですけん。ほんとに、ね。
こりゃ結局私の心の狭さなのです。それでなら神前に向かってですたいね、神前に向かってその事を神様にお願いさして頂きよるとです「お前の信心も心の豊かさというのが、その程度のことだ」と、まあ言われる様な気がするんですよ。そして実は今晩の御理解に聞いてもらってるんですよ。おかげ頂きたいと思う心がなくなってくるです。そして結局は思うのですね。誰が何と言うても、椛目の大坪さんがするのは、まあ言うならば、親教会を、まあ親の心にそむく様な事はせんと。
例えば、様な人ではないということをです、やはり信じてもらえんから、そうだろうとこう思うのですね。ほんとにしかし容易ならないことだと。私がほんとにこの親先生に信用して頂くという事。私が毎日お参りをする。そして私が一生懸命御用さして頂くと。もうところが私の考えの中にはね、お参りをしたとか、お供えが出来たこと位のことで、親先生の私は信用を獲得した様なことじゃ、もういかんと思うとりますものね。お参りも出来ん。もう月次祭だけにしかお参りが出来ん。ねえ。
と言うて、なら私がどんどん御用出来るわけでもないと。けれどもあの男だけは間違いのないというですね、所まで私は信用して頂く以外には無いと。私はこう思うたのですけれどもね。けれどもそれと同時に、引換えて思うことですたい。私の心の、いうなら貧しさと言うものがですね、所謂、「金光様、金光様」と金沢さんじゃないけれど、それが言えばおかげ頂くのですよ直ぐ。これは有り難いですけどね。だからこれを言わんでも、それを聞いても、例えば見てもです。
それがそんなこと全然微動だもしない、ね。そして私は思いましたですね。お互いの心の中にです、例えば、こりゃ大きゅうならにゃいかん、豊かにならにゃならん、ここ辛抱せにゃいかんと、「金光様、金光様」と唱える時にです、必要なのはね、やはりお礼とお詫びと願いがいるということです。私は今晩の婦人部会でね、ここのところを一つ共励会なさったらどうだろうかと。いわゆる今晩の私は一つの発見なのです。豊かになるということ。ほんとに自分の心が有り難いと。
それは有り難いと思っとります。百なりとも思っとります。ところがですね、もう五百の難儀な事が起こって来ると、もうこの百の有り難さでは駄目なのです。ですから五百のことが起こったら、五百の有り難さを頂く為にです、お礼とお詫びとその御祈念の内容と言われております、そのお礼お詫び願いと言うのが必要だと。ですから御祈念の内容になるところのお礼とお詫びと願いでなくて、今日私の心の中に、もっとより有り難い豊かな心を頂かして頂くためにですね。
そのことの為に、お礼とお詫びと願いがいることを、今日気付かせて頂きました。そういうところに一つ焦点を於いてお蔭頂かれ、いよいよ豊かな心、有り難い心、そしてどのようなことでも自分の身辺に起きて来る、大体いうたら神様がね、私どもの頂いている以上のものはね、あんまり言うたり見せたりなさらん筈ですよ。けれども、もうそれまで頂いておる筈なのに、頂ききっとらんということは日頃の勉強不足であるということが分かるですね。
神様が仰るようにですね、例えば、お試しとこういうけれども、一遍教えた、一遍も二遍も教えて居るところでなかなければ試さんと仰るです。ね、例えば、学校で試験があるのにですよ、教えてないとこが試験に出る筈はないようなものです。ですから言うなら「金光様、金光様」と言うことになればですね、思い出しもすりゃ、だんだん出来てくるんですけれども、それを言わんでも済むですね。
その時、聞いてから自分の心を汚さんですむ様なです。おかげ頂きたいと思う心が損失するようなことがないようなね、即おかげが頂きたい。為にはね、私どもがいよいよ豊かな大きな有り難い心を頂かせて頂くということと同時にですね、その内容としてです、やはりお礼とお詫びと願いが、その都度、都度いるということですね。そういうような私は心の状態、それが徳になるのだという風に今日は感じます。
どうぞ。